今回は日本映画「田園に死す」について語ろうと思います。
カルト日本映画「田園に死す」とは?
日本映画「田園に死す」1974年12月28日に公開されました。
原作・脚本・監督は寺山修司。
配給は後にATGで知られる日本アート・シアター・ギルド。
ATGは他の映画会社とは大きく異なり、非商業的な芸術映画を制作・配給した会社です。後期には積極的に若手監督絵を起用。日本の映画界に多大な影響を与えました。(大島渚、神代辰巳、曽根中生、大森一樹、森田芳光などがいる。カルト映画も多数)
上映時間は102分。
次にあらすじを見ていきましょう。
日本映画「田園に死す」あらすじ
父親のいない中学生の私は、母と二人で恐山の麓の村で暮らしている。唯一の楽しみ、それはイタコに父親の霊を呼び出させて会話をすることだった。私の家の隣にはよそから嫁入りした若い人妻が住んでおり、密かに思いを寄せている。ある日、村にやって来たサーカス団へ遊びに行った私は、団員から外の世界の事を聞かされ、憧れを抱くようになる。今の生活に嫌気がさした私は家出をすることを決心し、同じような思いを持つ隣の人妻と共に村を離れる約束をした。駅で待ち合わせをして線路を歩く二人。
と、実はここまでは、映画監督となった現在の私が制作した自伝映画の一部であった。試写会に来ていた人々は映画を賞賛する。その後、評論家と一緒にスナックへと入った私は、「もし、君がタイムマシーンに乗って数百年をさかのぼり、君の三代前のおばあさんを殺したとしたら、現在の君はいなくなると思うか」と尋ねられる。質問についてを考えていた私は、少年時代の自分自身に出会う。少年の私は、映画で描かれた少年時代は脚色されており、真実ではないと言う。そして、本当の少年時代がどの様なものであったかが語られる。
村に住む人々はみな狂気じみており、サーカス団も実は変質者の集まりだった。人妻からは家出の計画を本気にしていなかったことを告げられ、目の前で愛人の男と心中されてしまう。そんな中、少年は現在の私と出くわす。現在の私は、過去の私が母親を殺せば自分がどうなるのかを知るためにやって来たのだった。二人で話をするうちに、少年は母親を捨てて上京することを決意する。しかし、出発の準備を整える中、東京からの出戻り女によって童貞を奪われてしまう。たまらなくなった少年は電車に乗り、故郷を離れていった。結局母殺しは起きなかった。私は少年を待ち続けるが、何も起こらなかった。
現在の私は20年前の母親と向き合い、黙って食事をしている。やがて家の壁が崩壊すると、そこは新宿駅前の一角だった。周囲を沢山の人間が行きかう中、私と母は黙って食べ続ける…
日本映画「田園に死す」のカルト性について
全編に漂う前衛的とも言うべき異様な雰囲気。
裸の女性が学生服を着た男の子を追い回したり、家の中に牛がいたり、湖で楽器を弾くなど、時折、登場するシュールなカット。
あまりにも印象的です。
そして、主人公と母親は顔がなぜか白く塗られています。
その理由は最後まで明かされることはありません。
恐山、サーカス、美しい人妻、奇妙な人々、学生服の集団。
それらが混ざり合って、独特の感性が見る者に驚きと衝撃を与えます。
”よくわからないで片付けられない美しさ”が映画「田園に死す」にはあります。
これこそ、良く出来たカルト映画と言わざる得ません。
いや、群を抜いています。
映画「田園に死す」を見て思うこと
難解なのは確かです。
しかし、白塗りの主人公は今見ると、筆者には宮崎駿作品「千と千尋の神隠し」のカオナシを連想させます。
まだ、誰でもない自分。そこに個性はないのかもしれません。
あるいは、巧妙に隠されている埋没した個性の象徴ではないかと思いました。
(筆者、独自の意見です)
カルト映画は人によって様々な印象を与えます。
歌人であり、劇作家でもあり、アングラ劇団「天井桟敷」主宰である寺山修司は後世の作家や歌人、演劇関係者に多大な影響を与えました。
筆者も少なからず、影響を受けています。
寺山修司享年47歳。
早すぎる死でした。
(ナイトメア・シンジ)
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