今日、ご紹介するのは海外のカルト映画「気狂いピエロ」です。
映画「気狂いピエロ」は1965年11月5日に公開されたフランス・イタリア合作映画。
日本では、1967年7月7日に公開されました。


監督・脚本はヌーヴェルヴァーグを代表する映画監督のリュック・ゴダール。
(ヌーヴェルヴァーグとは1950年代に始まったフランスに始まった下済み経験のない若い監督がロケ中心の撮影や即興演出を取り入れた新しい映画の波のこと。他にフランソワ・トリュフォーやアラン・ルネなどがいる)
主演に映画「かってにしやがれ」のジャン=ポール・ベルモントと映画「女は女である」のアンナ・カリーナ。
本人役で「最前線物語」などの映画監督のサミュエル・フラーも出演しています。
上映時間は110分。

それでは、海外映画の中でも、名作のひとつと言われる「気狂いピエロ」のあらすじです。

映画「気狂いピエロ」あらすじ

フェルディナンは妻子ある今の生活に失望する毎日。ある日、付き合いで妻とパーティーに出かけることになったフェルディナン。フェルディナンが金持ちのパーティーにうんざりしながら、帰宅すると、そこにいたのは、ベビーシッターとして来ていた、かって女のマリアンヌ。フェルディナンは終電を逃したマリアンヌを車で自宅まで送るが、そのまま、一夜を共にしてしまう。翌朝、フェルディナンが目覚めると、部屋にはうつぶせに横たわる男の死体と銃があった。マリアンヌはフランクという男の愛人でフランクを酒瓶で殴って殺したのだった。フェルディナンとマリアンヌは二人で逃避行を始める。二人は川を抜け森を超えて、マリアンヌの兄がいるという南フランスへたどり着く。フェルディナンとマリアンヌは自然に囲まれて生活を送るが、マリアンヌは退屈し始める。ここを離れたいというマリアンヌにフェルディナンも渋々と従い、二人は街へ向かう。街でフェルディナンとマリアンヌは寸劇を演じ、観光客のアメリカ兵から金を巻き上げることに成功。ところがその後、ギャングの争いに巻き込まれた二人は離れ離れになる。
時は過ぎ、フェルディナンは港で働いていた。そこへ突然現れるマリアンヌ。
再び、充実した生活を送ろうとするフェルディナンを突然、裏切るマリアンヌ。絶望したフェルディナンは、マリアンヌと組織のボスでマリアンヌの愛人でもある兄が隠れている島を見つけ、2人を撃ち殺す。フェルディナンは自死を決意して、ダイナマイトを顔に巻きつけ火を点けるが、途中で気が変わる。自殺を思いとどまろうとするフェルディナン。しかし、時すでに遅く、ダイナマイトは爆発する。そして、穏ややかな海の情景が広がる中、アルチュール・ランボーの詩『永遠』が朗読される。
「見つかった。何を?太陽と海が1つになる、永遠が」…

https://youtu.be/d_KG-FoXppE?si=YQRxqAPj-NqgCKcE

海外映画「気狂いピエロ」のタイトルの正しい読み方

当初は”きちがい”と読まれていましたが、昨今は世間的なマナーと道徳観念から”きぐるい”と呼ばれているようです。
時代は変わる。

海外映画「気狂いピエロ」はカルト?

もち。
カルト映画でしょ。
全編にフランス映画らしい”お洒落感”が漂います。
たとえば、会話。
「きみには思想がない、感情だけだ」
「違うわ、思想は感情にあるのよ」

いかにも、1960年代風な”エモーション的”台詞です。

アルチュール・ランボーの「地獄の季節」の中の「永遠」という詩の一節で終わるラスト。
(お洒落すぎて、南極のペンギンが風邪をひきます)

脚本はあってないような即興芝居から作られた映画です。
(ストーリーではない。読むな、感じろ)

タイトルにあるピエロは、フェルデナンをマリアンヌが
「ねぇ、ピエロ」
「オレはフェルディナンだ」
と言う会話が何度も出てくることからつけられたそうです。
(筆者はこの繰り返し、かなり、好き)

日本でも、大島渚などに影響を与えたヌーヴェルヴァーグの傑作。
海外からの新しい風の映画です。

古典でもカルトはカルト。
お時間あれば、御覧下さいまし。

(ナイトメア・シンジ)

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