sfカルト映画「未来世紀ブラジル」を紹介します。
sf映画「未来世紀ブラジル」は1985年の作品で、日本では1986年10月10日に公開されました。
制作国はイギリスです。
監督はイギリスのコメディグループ「モンティ・パイソン」のメンバーの一人、テリー・ギリアム。
テリー・ギリアムは、映画「12モンキーズ」や「フィッシャー・キング」の監督としても有名です。
出演者は舞台出身のジョナサン・プライス。そして、御大ロバート・デ・ニーロ。
(他にも、イアン・ホルムやピーター・ボーンも)
上映時間は20世紀フォックス版はオリジナル、バッドエンド142分。
ユニバーサル・ピクチャーズ版はハッピーエンド版で131分
(カルト映画らしい。もちろん、テリー・ギリアムはバッド・エンドを熱望。映画会社のゴリ押しでハッピーエンド版が作られた。もう、カルト映画でしょ!)
では、sfカルト映画「未来世紀ブラジル」のあらすじを見ていきます。
sf映画「未来世紀ブラジル」あらすじ
完全に情報統制がなされたある時代のどこかの国。
ある日、情報省の官吏が文字を打ち間違え、容疑者の名前がタトルからバトルに変わってしまう。この結果、平凡なバトル一家に情報省剥奪局が乱入し、バトルを連行する。
上の階の女性トラック運転手のジルは抗議の為、情報省を訪れる。情報省に勤めるサムには空想癖があり、美女を魔の手から救い出すという夢を見ていた。情報省記録局でサムは抗議に来ていたジルを見かけ、彼女が夢に出てくる女性にそっくりであることに驚く。
整形依存症のサムの母親アイダは、裏から手を回してサムを強引に昇進させようとしていたが、サムは拒否。ある日のこと、サムが帰宅するとダクトが故障しており、武装した男タトルが現れる。
タトルは非合法の修理屋だった。サムはバトル宅に検束費用の超過分払い戻し小切手を届けた帰りに、ジルを見つけるが、見失う。その夜、サムはサムライの怪物と戦い、ジルそっくりの美女を救う夢を見る。
サムはジルを調べる為に母親のコネを利用して昇進することを思いつく。
情報省剥奪局に配属されたサムは、ジルの機密ファイルにアクセス出来るようになる。
そして、ジルが危険人物であることを知り、急いで彼女に関する情報を改ざんする。しばらくして、サムが帰宅すると、正規のダクト修理屋が部屋をいじり、サムをアパートから強制退去させようとする。そこにタトルが現れ、機械をいじって修理屋に糞尿を浴びせる。別の日、サムが剥奪局に勤める旧友のジャックを訪ねると、ジャックはバトルの誤認逮捕を隠蔽するために、ジルを拘留しなくてはならないと話す。
サムはジルの件をジャックから引き継ぎ、局内に来ていたジルを連れ出すことに成功。しかし2人はデパートの爆弾テロに巻き込まれ、離れ離れになる。
どうにかサムはジルと再会するが、その翌朝、サムは反逆罪で逮捕される。
サムが剥奪局の拷問椅子に座らされると、仮面をつけたジャックが現れ、拷問器具を取り出す。その瞬間、ジャックの額に穴が開き、拷問室の天井からタトルが降りてくる。
逃亡するサム。
逃亡中、サムは過剰な美容整形によって死んでしまったアイダの友人の葬式に参列する。ところが棺桶の中で眠っていたのは自分の母親で、ショックを受けたサムはその場から逃げるように去る。その後、無事にジルと再会を果たしたサムは、彼女が運転するトラックでのどかな田舎道を走る。が、次の瞬間、サムは拷問室に戻っていた…。
すべては拷問に耐えかねたサムの空想で、ジルはその場で射殺されていた。
サムは廃人となり、「ブラジル」のメロディを口ずさむ…。
sf映画「未来世紀ブラジル」が素晴らしいカルト映画である理由
アメリカ人でありながら、イギリスのTV番組、それもコメディで大ブレイクしたテリー・ギリアム。
そのテリー・ギリアムのその世界観がまず見るものを圧倒せずにはいられません。
すべてのシーンが斬新。
時にはグロテスク、時には滑稽、また時にはダイナミック。
ハイセンスなカルト映画と言ってもいいと思います。
たとえば、
そこかしこに、はこびるダクト。
巨大な鎧武者。
ビラ人間。
突如、サムの足を掴む石畳。
華麗な銃撃戦。
”どんな奇抜なアイディアでも見事に視覚化してくれた”とテリー・ギリアムを小躍りさせたのは、美術のノーマン・ガーウッド。
Sfなのにクラシックだったりする衣装やメカも見所です。
そして、前編を覆うブラック・ジョークはイギリスならでは。
(日本ではムリかも)
これは、映像に酔う映画です。
(カルト映画ですから)
題名の意味がわからない人のために説明すると、「ブラジル」とは1930年代に流行したサンバの名曲。
”心弾む6月を過ごし、琥珀色の月の下、二人でいつか、きっとと囁いたブラジル…”
時にはsfカルト映画「未来世紀ブラジル」のような”黒い笑い”で、世界を斜めに見てみたらどうでしょう。そうすれば、今まで見えてなかった”何か”が見えてくるかもしれません。
(ナイトメア・シンジ)
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