「太陽を盗んだ男」は1979年10月6日に公開されたアクション映画で、監督は”ゴジ”の愛称で知られる長谷川和彦。

デビュー作の「青春の殺人者」で賞を総ナメにし、長谷川監督が挑んだ2作目が「太陽を盗んだ男」なのです。

「太陽を盗んだ男」がなぜ、カルト映画と呼ばれたのか?

評価は悪くなかったのに、興行的に成功しなかったこと。

この作品以降、長谷川和彦監督は映画を撮っていないこと。

首都高速や皇居前のゲリラ撮影など今ではメジャーでは考えられない逸話がたくさんあること。

「太陽を盗んだ映画」のどこが凄いのか?

主演は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった沢田研二と東映の宝、菅原文太。

華を添えるのは、当時20歳でコケテッシュな魅力がハンパない池上季実子。

助監督は「セーラー服と機関銃」など数々の名作を世に送り出した故・相米慎二が務めています。

ド派手なアクション満載で147分もあります。

なぜ、当たらなかったのか不思議です。

あらすじだけでも、その凄さはわかるはず。

「太陽を盗んだ男」あらすじ

中学の理科教師である城戸誠(沢田研二)は、茨城県東海村の原子力発電所から液体プルトニウムを強奪し、アパートの自室でハンドメイドの原爆を完成させます。そして、金属プルトニウムの欠片を仕込んだダミー原爆を国会議事堂に置き去り、日本政府を脅迫。
誠が交渉相手に指名したのは、丸の内警察署捜査一課の山下警部(菅原文太)。かつて誠がクラスごとバスジャック事件に巻き込まれた時、体を張って誠や生徒たちを救出したのが山下でした。

誠はアナキズムの匂いのする山下にシンパシーを感じていたのです。

誠の第1の要求は「プロ野球のナイターを試合の最後まで中継させろ」

電話を介しての山下との対決の結果、その夜の巨人対大洋戦は急遽完全中継されます。

快哉を叫ぶ誠は山下に俺は「9番」だ、と(当時、世界の核保有国は8か国、誠が9番目という意味)名乗ります。
第2の要求はどうするか思いつかずに迷う誠は、愛聴するラジオのDJ・ゼロこと沢井零子(池上季実子)をも巻き込みます。

多数のリスナーも交えた公開リクエストの結果、誠の決めた第2の要求は「ローリング・ストーンズ日本公演」。

山下はこの要求も飲みます。

次の要求は爆製造設備のため借金したサラ金業者に返済を迫られた誠が、嫌々出した第3の要求「現金5億円」でした。

山下は奮い立ちます。なぜなら、現金の受け渡しなら犯人は必ず現れると考えたからです。

電電公社に電話の逆探知時間を強引に短縮させ、罠を仕掛ける山下。

逆探知により誠が東急デパートの屋上から電話をしていることが判明し、東急デパートの出入口を警察が封鎖します。

誠は山下に原爆の在り処を教え、5億円を屋上からばら撒くことを指示します。

お札が空から降ってきて大騒ぎになっている街中を誠は逃げ切ることに成功。
原爆を回収した山下たちは起爆装置を解除しますが、誠は原爆が保管されているビルの4階を襲い、原爆を奪取すると再び起爆装置をセットします。
ローリングストーンズ公演の日、山下は観衆の中に誠がいると推理、ついに山下と誠は対峙します。

誠は山下に銃を突きつけ「原爆は30分後に爆発する」と脅迫。

山下をビルの屋上まで連れて行って銃で撃ちます。

何発もの銃弾を身に受けながらも、山下は誠もろとも、屋上から身を投げます。

しかし、山下は死亡、誠は一命を取り止めます。
瀕死の誠は原爆を持ちながら街を歩き出します。

やがてタイム・リミットの30分が訪れ…。

記憶に残るカルト映画

「太陽を盗んだ男」最初に申し上げた通り、公開当時は幾つかの賞を取りましたが、それほど、評価は高くありませんでした。けれども、誤解を恐れずに言うと、あの「猪木VSアリ」の一戦のように時間を経るにしたがって、その評価はじわじわとウナギのぼりになったのです。

今や、この作品を”20世紀の名作”と呼ぶ俳優や監督などの映画関係者も少なくありません。

画面からあふれ出す圧倒的なパワー。映画に対する情熱。

多くの映画ファンが「太陽を盗んだ男」の次は?いつ?どんな?誰と?
長谷川監督の3作目を待ち焦がれて半世紀近く。
再び、メガホンを取る日は来るのでしょうか?

(ナイトメア・シンジ)

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